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こんなタイトルじゃ絶対人見てくれないだろうなぁw
エロゲーの話なんで興味ある人だけ下を覗いてみてね。
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ウィキでの当たりw 全部読むのに30分かかったww
今まで膣痙攣とかゴキ繁殖死とかエイズ・メアリーとか死体洗いのアルバイトとか事実だと思ってたんだよねOIL
あとはスナッフフィルム・扇風機をつけたまま寝ると死ぬ・金粉塗って皮膚呼吸できずに死亡あたりは信じていたなぁ。
やっぱウィキは暇つぶしになるわぁ。
皆は遺書を書いたことがあるだろうか?
羽山は中学高校と6年間、年に一度更新で書いていた。
内容はとてもくだらないことだった。
葬式ではモーツァルトの鎮魂歌をかけてくれ。とか
遺体を焼くときはLacrimosaにしてくれ。とか
大好きなGacktのStory~再会~のCDを一緒に焼いてくれ。とか
今考えれば全部自分のことだったと思う。
そりゃ学生じゃ遺産もクソもないけどさ。でも家族への一言とかは全く書いてなかった記憶がある。あ、でも彼女宛には別に書いたか。
健全は生活送ってる学生時代で死ぬつったら不慮の事故ぐらいだろうし、どう書き出せば言いかなんてわからないだろうけど・・・なんつーかワガママだったなぁ。たぶん昔の自分は「自分の事ばっかだけどそれが親孝行」とか思ってたんだろうなぁ。突然亡くした子供への最後の行為を増やして、自分は親としてマットウに尽くせた。って思わせたい。とか思ってたんだろうなぁwww
つーか今でもそれを否定できない自分がいる。成長してねぇOIL
そして大学入ってから遺書を書かなくなった。
「なんでだろう?」
遺書で名言を書いておけばその言葉はその人の中で永遠に生きると思う。その一言で救われる日がくるかもしれない。
そう考えれば書くべきなんだろうけれど、それは常日頃隠して置くべきなのだろうか?普段の会話の中でこそ言うべきなのではないだろうか?
こんな疑問が大学に入って直ぐに出てきたんだと思う。
この考えが頭に浮かんでからかなり言葉を選ぶようになった気がする。
普段はバカしてるけど真面目な時は何を言うべきか・何を伝えるべきか。その人には何が必要でどんな言葉をかけて欲しいのか。
遺書の言葉を頭に残した人はその言葉を自分なりに解釈してそれを自分の中に取り入れる。そんなのは人の解釈であって自分の言葉ではない。悩んでいるなら生きている間にいくらでも言葉を残そう。それが自分の言霊だから。
たぶんこんな考えになったのは
尊敬する人 がこの世を去ってからだろう。たぶんこれからも遺書は書かない。書くのは死ぬことで人に迷惑をかけると思えるようになってからだ。
Lacrimosa dies illa, 涙の日、その日は
qua resurget ex favilla 罪ある者が裁きを受けるために
judicandus homo reus: 灰の中からよみがえる日です。
Huic ergo parce Deus. 神よ、この者をお許しください。
pie Jesu Domine, 慈悲深き主、イエスよ
Dona eis requiem. Amen 彼らに安息をお与えください。アーメン。
ヒマなときはネットサーフィン。
値上がりしたタバコを片手にWikipediaをぐるぐるしてるの羽山です。
ごきげんよう。
今日は自分の誕生日を
ウィキ ってみた。
YUKIとかマイケル・ジョーダンあたりが同じ誕生日ってのは知ってたけど東京プリンの片割れと同じだったのは知らなかったw
没日にハインリッヒ・ハイネがあったのは中学の頃でそれから縁を感じて読み漁ってたなぁ。
あと天使の囁きの日って素敵な記念日ってのを知って少し嬉しくなったり。
雪の特異日ってのは少し驚いた。
自分の誕生日実家の埼玉で雪降ってた記憶がござらんのは何故?w
時間が余ってる人は自分の誕生日に少し詳しくなってみてはいかが?
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